地下鉄八乙女駅から少し南に行くと、「仙台藩刑場跡」の案内板があります。そこは江戸時代、元禄3年(1690年)以降に仙台藩の刑場があった場所です。
当時、刑死者の葬儀や墓碑の建立は認められていませんでした。このことを憐れんだ5代藩主伊達吉村公夫人の長松院の遺言で、享保2年(1745年)に処刑場を挟んで奥州街道沿いの南北に2棟の常念仏堂が建てられました。それらは河南堂・河北堂と呼ばれ、それぞれに「抜苦」と「与楽」という扁額を掲げて、処刑に際して「山の寺洞雲寺」から派遣された僧が念仏を唱えたと言われています。「抜苦」の扁額は山の寺洞雲寺に現存します。
近年まで、念仏地蔵尊講の皆さんによって供養されてきましたが、現在は講も解散しています。跡地が共有地であるため代を重ねるごとに所有者が増え、跡地保存のあり方が課題となっていました。泉市時代、講の代表者が泉市教育委員会に相談したところ、「共有地のため所有権移転が難しいので寄付を受けることはできない。所有者が一人であれば寄付採納もやぶさかでない」との対応であったとのこと。
昨年夏、地元関係者の方々から、「所有権を善正寺に一本化したので、仙台市に寄付したい」旨のご相談をいただき、仙台市教育委員会と協議を行ってきました。このたび、仙台市が寄付採納を決定し、現在その手続きが進められています。泉市時代からの懸案であった「跡地保存」が仙台市に委ねられることになりました。
今回の寄付採納にあたって、仙台市教育委員会に種々調査していただきましたが、新たなことも判明しました。そのことについては、第二報で掲載させていただきます。