拉致被害者の救出のために

 先日、「拉致問題の早期解決を求める署名」を国会議員の超党派で構成する「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」に提出し、国の取組を求めました。

 この行動は、「救う会宮城」「宮城県議会拉致議連」「仙台市議会拉致議連」によるもので、拉致被害者家族会の増元照明さん、特定失踪者問題調査会の荒木和博さんにも同席していただきました。

 提出した署名は、救う会宮城の皆さんとともに、街頭活動で集めたものが中心ですが、仙台市の職員の皆様に協力いただいた約7,000の署名も含まれています。仙台での活動は活発ですが、この取組を如何にして全国に広めていくか、大きな課題です。

 街頭署名活動の際に、通行人から『もう終わった話だ』『無駄な抵抗だ』などと罵声を浴びることがあります。このような考えを日本人が持つことを望んでいるのは北朝鮮です。北朝鮮の思う壺にしてはいけません。

 私たち日本人は、この拉致被害問題を日本の自由と主権と独立の問題として、しっかりと認識を深める必要があります。私は、これからも、この問題の解決のために行動してまいります。

仙台市水道 給水開始100周年

 大正12年(1923年)に仙台市の水道事業が給水を開始してから、今年の3月31日で100年になりました。仙台市の水道の特徴として、電力使用が少なく環境にやさしい水道システムであると言われています。

 全体の80%を「自然流下」で配水しており、配水量1立方メートルの電力使用量は大都市平均の2分の1以下となっています。仙台市の上下水道のキーワードは「自然流下」です。

 東日本大震災時、仙台市の約7割を受け持っている南蒲生浄化センターは、津波で壊滅的な被害が生じましたが、この処理区域の汚水排水システムは、震災後一日も休まず機能しました。汚水は自然流下により南蒲生浄化センターまで到達し、暫定的に塩素殺菌した後、海に流すことが出来ました。自然流下の下水道システムが震災直後の仙台市民の生活を救ったのです。これは400年以上前の歴史の遺産でもあります。

 1601年、伊達政宗公は仙台の地を選び、城下町を建設しました。政宗公の選んだ仙台の地形は、現在の都市計画から見ても、際立った条件を備えています。仙台の街は広瀬川が形成した河岸段丘の上に作られています。この仙台の地形によって、上水も下水も自然流下のシステムが可能となっています。

 政宗公は、城下町の用水排水路を確保するため、家臣に「四ツ谷用水」の造成を命じました。四ツ谷用水は広瀬川の郷六の堰で取水し、城下町に自然流下の水路網を張り巡らせました。政宗公は極めて優れた都市計画課であり、現在の我々は、その恩恵に浴していると言えます。

 話を水道事業に戻しますが、エネルギー消費型社会にあって、仙台市の水道は、持続可能な水道システムと言えます。政宗公の遺産を活かし、様々な課題を乗り越え、持続可能な水道事業として次の時代に引き継いでいくのが、現代に生きる我々の責務です。